会長挨拶

地球上で数え切れない多くの車関連業種の中で、当社のホームページにお目通し頂いたことに心より御礼申し上げます。

私がこの仕事に一生を捧げるきっかけとなったのは、子供の頃に見た1枚の写真でした。

当時私は小学2年生。

その写真には、日本最大の航空機工場であった三菱重工名古屋発動機製作所に勤務していた叔父が、飛行服を着て戦闘機の前に誇らしげに立っていました。

技術の粋を結集して製造された機械への憧憬が、技術者への道を歩むことになったのです。

2.会社設立の経緯

設立年月日  1954年 昭和29年8月15日

場所  東京都渋谷区広尾5丁目

会長(設立者)経歴

1946年(昭和21年3月)静岡県立浜松工業学校機械科 卒

1948年(昭和23年3月)までの2年間は(株)園池製作所 富士宮工場にて精密機械工具(特殊ドリル・自動車エンジン用マイクロメーター)等の作成。

(食糧難で体調不良になり退職)

1948年(昭和23年4月)東京に上京しての最初がハーレー・インディアン・トライア ンフ等のオートバイ工場に入社。東京都目黒区。

1949年(昭和24年)東京都港区虎ノ門にて外車専門の整備工場にて本格的な四輪車の世界に入り、戦後3年目連合軍隊の持ち込んだ世界の外車を手掛けられた。 特に日中は実務仕事を終え、夜は学習と楽しく過ごした一時期であった。

1954年(昭和29年8月)念願の独立をして自己の好きな車の整備に専心出来ることの喜びを実感した。戦後8年目にして独立出来た事は小生の周辺の          先輩の技術指導また精神的な援助などにより独立出来た事であります。        以降は常に同業者よりの技術情報また多くの車種の異なったデーラーよりの技術指導情報、そして独立直後より外車乗用車に外国より輸入した商事会社の重役よりクーラー(オプション)の取り付けは日本においても2番目位の早い時期にたずさわった事で、遠くは所沢約30KM位の遠距離より米国人のクーラー修理依頼が丁度、1964年東京オリンピック頃の出来事であった事が大きな動きであり、後述に今少し細かい事を記したいと思います。

3.なぜ自動車整備の仕事をやろうと思ったか?

子供の時(1938年・9才位の時)叔父の航空機をバックにした写真を見て飛行機を整備する、触りたいとの印象が今でも頭に大きく残っている。ところが第二次大戦、名古屋航空機工場は再起不能となり、学校の卒業は失業式となりやむを得ず精密機械製作会社入社(園池製作所)。体調不良となり、東京に縁あって、先ずオートバイ修理を手掛けたのが始まり。将来、大馬力の外車四輪乗用車をと夢が多くなった時、縁あって外車整備工場に入社した事が飛行機から車に舵をとった事。戦後の日本の若者達の夢であった事でありセダン有りスポーツカーそして世界中の車に接する事が出来る事は何よりの喜びであった事でした。

4.お客様への接し方においての注意点は?

お客様は2通りに分けられると考えます(大変失礼と思いますが日本人的考察です)

(1)先ず初対面であれ、永くご利用頂いている方でも、常に説得より御納得いただいてから、ご予算をお聞きして見積もりを作成する事。そしてご指示をおうけします。頼まれた所を整備する事は当然として、人間ドック的に車全体の調子を診断いたします。お客様が日頃気付かない箇所を診る事が入庫されたお客様の愛車を共にいたわる様にして安全・安心そして快適にお乗りいただける様に努力しております。

(2)当社はドイツ・スイスで生まれたマイスター制度を大変に尊敬しております。社会に通用するマイスター(一流の秀でた物作り職人)Agora July 2007 の月刊誌15頁にありました「マイスターを守れ」の文面に職業高校教育は理論の学業が週1~2日、それ以外の日は実習という構成で実習の濃度が違うと。当社は社会で信頼される為、一人一人の整備士がお客様に何故、どうしての結果、その箇所を整備するという事の説明が出来る人間教育に常に気を遣い、また、細かい気配りとお話が出来る人間である事に努めています。

5.レースの思い出

当社のお客様S様が1966年(昭和41年)頃からが本格的にプライベートにてレース出場したいとの事でチューニングを依頼されました。丁度、鈴鹿サーキットの第2回グランプリレース前で、当時はトライアンプTR3→RR4と乗り換えて、毎週、東京金曜日の夜→鈴鹿日曜日の夜東京に帰宅と、そして第2回鈴鹿グランプリ出場の予定で、静岡県の国道夜泣石峠を走行中、運送大型トランクにはさまれてトライアンフTR4は大破。その後、日産フェアレディ1600→2000と進みました。当社のS様のレースの第一目的がお車とレースに関する部品はS様の負担として、技術料と予選本選の2日間及び車を工場からサーキットまでのトレーラー(天竜自工製)にての搬送は全て天竜負担として発足しました。(富士サーキット)

1966年から1968年末までの優勝回数も10回、その内総合優勝は9回の実績を持っておりました。当時はテレビのレース中継でもS氏の車がよく放映されていました。1968年JAF発行のカタログパンフレット、グランプリ5月号の39頁の上部にS氏の顔写真とレース内容が記されています。「今年の富士チャンピオンレース第1戦でェアレディ2000に乗って優勝している」とまた、メカニックにもこの様な意地があります。直線コースはメカニックの技術そしてコーナーはドライバーのテクニックそして車が信頼有る強固なことと思います。目的は自己の技術を研鑚する最高のチャンスであり、大変効果がありました。

6.この仕事をやっていて良かったと思う時は?

お客様は御自身のお車を非常に大切に愛しているということを感じるときです。

それはどのような時に?お車が不調で入庫された時のお客様のお顔御自身が具合悪いようなお顔になっておられます。そのお車の不調を発見そして車が快適に復元しお渡しする際は当方も出来上がりの良い満足の上お渡しした時のお客様のお顔の喜びを当方がお受けして共に嬉しい事です。お車の不具合を完全に復元して当たり前ということですが、お渡しした後にインターネットとか電話等で、大変調子が良く長距離が快適でしたという内容を知らされた時は何にもかえがたい一生忘れられない喜びです。車は多くの電子部品、多くの部品を構成した機械の固まりです。常に作業場は雑念を持たず集中心を持って、なぜ・どうして・それが判明して最後の結論を出してから整備する事に専念しております。上手く出来上がった時ほめられ喜ばれた時はこの仕事をしていて良かったと思う社員が天竜の社員であり自慢が出来ます。

7.気の合うお客様のタイプ

整備依頼又はお車を購入いただける際のお気持ちが当方に対して信頼していただいて御用命お受けする時には、その信頼を裏切らないように心掛けております。万一車をお渡しした後不具合発生あった時は当方がそれを細部にわたって診断し説明を聞いていただける方が大変有りがたく感じます。お車は新車であれ高年式車であれ電子機器と部品の固まりです。それをよく理解していただける方がお話も聞いていただける事です。

8.苦手なお客のタイプ

特に初対面のときはお互いの気持ち意思の疎通がないので緊張が有ると思います。やはり縁有ってお車を入庫された際は、56年間この仕事で感じますのが、当社が長い期間車関係の仕事をしている事に対して信用信頼していただけると、意思の疎通が多くなると思います。また車の整備でお車の構造整備に精通している方は話の進め方が早いですが良く知らないで知っているふりをされると当方の説明不足からお客様に不快感を持たれる事でお車不具合の整備に対してかゆい所にまで手が廻らない事があります。逆に大変車に対して高度な技術者の方が初めて入庫された時、当方として対応に対してその説明の不出来で失礼な事を申し上げてしまう事もあります。例えば極端な話ですが御自身の車のバッテリーがどこに装備されているかわからない何でも整備工場まかせ、一方エンジン・ミッション・ブレーキ何でも御自身で理解と高度な技術をお持ちのお客様に対しての工場側のフロントマンとして最も気を遣う所です。

当社は昭和29年創立渋谷区広尾で開業して10年、その後現在の世田谷区下馬に移転しましたがこの内広尾でこの様な出来事が有りました。広尾の近辺は当社のお客様でドイツ・フランス・チェコ・イタリー大使館のお車の整備をしておりました。こんな話がありました。フランス大使館の方の個人所有者のお車を修理に入庫しました。「この箇所が不具合で修理して下さい」と。天竜初めての時それ以外を発見して修理した所大変しかられました。「それは依頼していない」と当然良い事をしたのですがご連絡しないで当方の気持ちで勝手に作業してしまいました。大きな失敗の学習でした。日本人的心と外国(諸外国)人それぞれ国民性が違う事です。当社がお客様に対して苦手な方と言う前に己の心理を修理する事が基本と考えます。自己が基本に忠実ではなかった事に対して反省をした経験談です。

9.整備の思い出(工場)

(A)昭和29年開業当時(終戦後9年目)

ある方の紹介で米国車でカイザーというアメリカンモーター系のノンステップ車(当時1950年頃グッドデザイン賞を受けた車)オートマミッションの不具合の修理を受けました。戦後カイザーの整備マニュアル無い時代、他の大型工場でも直らないとの事で入庫しました。当社は大変勇気が有りました。怖いもの知らずと言う事です。ミッションオーバーホールしました。3回オーバーホールしました。部品も思うように入手出来ない時でしたが。結果はだめという結論です。お客様と相談しました。最終的にオートマミッションからマニュアルミッションに改造して乗る事が出来ました。お客様は当時の社会事情を理解しており満足?してご使用されました。最初で最後の大変苦しい思いをしましたがお客様のご理解で事無きをすんだ事でした。

(B)クーラーの取り付けは日本で2番目

クーラー(今ではエアコン)の取り付けはクーラーの車取付オプションセットを商事会社で輸入したが当時の日本は外車も少なクーラーという常識もなく夏季のアイスキャンデー位しか知らない時期に大型乗用車(外車)のクーラー取付を始めた事です。オプションですが車種は何でも取り付ける際は取付工場の技術力のみです。オプションセットは米国製で実際に車に装着する事はコンプレッサー1つでもその車用として手作りでブラケット作り等々大変楽しく面白く、またお客様は真夏の暑い時窓を閉めて街中走行の優越感を味わう事で当社も1970年頃まではクーラー取り付けは多くの経験をいたしました。現在でもジャガーマークⅡ1960年代のクーラー後取り付けは夏オーバーヒートしてせっかくのクーラー使用出来ないとの事で入庫するお車もオーバーヒートさせない特殊な技法で処理して快適にお乗りいただけます。エンジン水温が高めのお車は是非一度ご連絡いただければご相談に応じます。

10.整備の思い出(出張)

最近のお車は電子部品多く使っている関係上、走行中の不具合はエンジン・ミッション・ブレーキ・クーラー全て途中で故障した際はレッカー(車載車)を使用して工場内にて整備するのが原則です。然し今から40年前までは電子部品の使用が少なく機械的なトラブルですから、途中で不具合発生があった時は部品と工具を用意して現場で修理することが出来ました。当社日本で初めて外車・スポーツカー専門のレンタカー指定工場となり(昭和30年代)殆ど毎週のように箱根・伊豆方面、北は軽井沢、東は筑波方面・千葉方面と出張修理が大変と言うよりも、お客様は大変ですが出張修理を現場で完成する喜びが大きく、今では考えられない昔物語です。その様に多くの経験から今ではお客様からの不調の車の状態をお電話で問診する要領も今では、適切なお返事をする事が出来るようになっています。特にジャガーDD6は事例も多く経験しております。

11.今まで修理した印象に残る高級車は?

東京オリンピック直前の出来事。映画007にアストンマーチンが出て大変面白い映画が有りました。当然自動車屋としてはアストンマーチンの物凄い改造車のことです。そのアストンマーチン(映画に出た車ではありません)がエンジン不調で当社に修理依頼があったのです。日本に平行輸入車のスーパーカーの1台です。目の前のアストンマーチンそのドライバーシートに座って多くの機能にビックリ。先ずショックアブソーバーが3段階で機能を変更出来る事でした。低速時・最速時車体のローリング安定を計るための機能。当時の日本車のスカGの出る前のことです。天竜はその不調不具合車を完全にオーバーホールしてお客様にお渡しする事が出来、喜んでいただけました。

12.今まで修理した車のうち珍車・変わり種は

天竜の会長は1929年生まれですが戦後東京に上京した工場に入庫した車が己と同じ1929年製のフォードでした。嬉しかった。またドイツ製の2シーターアドラー車、此は昭和23年(1948年)に工場に入庫しましたがファンベルト1本交換するのに1日仕事でしたが車のデザインが大好きで今でも時々頭に浮かびます。当時ミシンの針を製作する会社のお車でした。戦後米国軍の個人車でMG・モーガン・ジャガー・シトロエン(日本で1950年代はタクシーにも使われた)・ルノー、こんな車が毎日整備出来る事は好きな職業として最高に幸せでした。多くの特殊な装置の有る車を手掛けた経験を生かしていた事から富士のサーキットチューニングもエンジンパワーアップする事は技術向上に繋がり、優勝回数も多かったことが天竜の誇りでもあります。特にハーレーのエンジンキックスタート時タイミング下げてキックしてエンジン始動したらタイミング上げる。またルノー700CCのラジエーターの水温はサーモスタットが無くて手動で運転席の上部にワイヤーがあってそのワイヤーはラジエーターの冷却水の温度を設定するための機械。この2つまでも富士のレースに生かす事が出来ました。特に1,000Kmレース時は外気温・気圧・湿度等、レース中に気象が変化する時には有効な手段でした。

13.社員へ一言

己に厳しく律する事。お客様の大切なお車入庫整備し納車した後に喜んでいただける様に信頼される事を第一と思い、なぜ・どうして・どういう訳で此の様に判断し整備をいたしましたという結果に納得いただく様に努力する事。

社内の問題

車の事整備が困難な(発見)事が発生した際は常に五目並べ(連珠)碁盤に黒石を1個置く、常に白をどこに置くか白は8通りの置く位置があると。結論を急ぐな。段取りは時間かけよ。結論が出たら要領良く処理する。素早く処理、きれいにクリーニングしてお返しする。

14.お客様へ一言

車関係業者は数多く有ります。それぞれの同業者も技術・価格・早期復元と目標は同様です。当方は、数多くの他社に無い独自の経験、技術の差別化目標にしております。大切なお車を御納得のいただける様、常に技術の研修、車の情報・部品の情報(国内外共)常に誠心誠意をもって、安心・安全・快適をお届けする様に心掛けております。

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